Mユニットのペアが崩れるケースは珍しいですが、武蔵野線向けVVVF化改造車である205系5000番台は、1組だけペアが崩れています。推測される理由をまとめます。
武蔵野線転属の最終局面
武蔵野線へ転入した205系は、大半が山手線からの転入車でした。その中で、武蔵野線生え抜きの205系1編成がVVVF化されています。この動きは、りんかい線の10両化が関連しており、Mユニットの不足を補うための動きでした。
ケヨM61編成は大宮総合車両センターへ入場、別編成(ケヨM32編成)へ移されるMユニットを外したあと、6連で東京総合車両センターへ入場しています。その後、VVVF化改造を受け、東京総合車両センターを4M4T(ケヨM35編成)で出場することになります。
武蔵野線転属時の補助電源装置事情
205系の補助電源装置は、201系と同じDM106形電動発電機(MG)が搭載されています。武蔵野線や山手線のMユニットを3つ含む編成は、補助電源装置を2ユニットだけに搭載しています。正確に言えば、2ユニットに削減されたのは1987年度新製車の途中(ヤテ49編成以降)からで、新製当時は3ユニットに搭載していた編成が多数派ですが、置き換え前に2ユニット搭載に統一されています。
編成中間のMユニットは、武蔵野線転属時に不足する補助電源を補うため、基本的に静止型インバータ装置(SIV)を追加搭載しました。
Mユニットが崩れるまでの動き
ここで、当時非常にメジャーな掲示板である103系掲示板の、前納浩一氏による目撃情報を引用させて頂きます。
(ケヨM32編成の)種車となった元M61編成は、8輌まとめて京葉区から大宮に回送されて393番のユニットが抜き取られ、残り6輌が一時東大宮操に回送され、東京総合車セへの入場待ちをしていたようですが、なぜかもう一度大宮に戻され、モハ204の392と393を交換の上、大宮構内に暫く留置の後、東京総合車セに入場した模様です。モハ204を差し替えた理由ですが、モハ205-393の工事着手後(5000番台化の最大の工事は、モハ205の床下機器の交換)、何らかの事情で、MG無しのモハ204-393と、MG付きのモハ204-392を交換する必要が生じたものと思われます。
引用元
http://103bbs.kokuden.com/103-2005/103-200509.html
つまり、補助電源装置の無いモハ204-393を入場対象から除外、補助電源装置のあるモハ204-392と差し替えた、ということです。まだM32編成も、M35編成も出ないうちの目撃で、当時の貧弱な情報網からすると驚異的な、後世に残る観察資料と言えます。
モハ205形は改造着手済みと推測され、この動きにより、205系唯一のペアが崩れたMユニットが誕生しています。代わりに、ケヨM32編成を2005年8月31日に出場させることができました。
モハ204-393の補助電源装置
ところが、モハ204-393は単純に新製のSIVを付けることにはならず、中古品のMGを取り付け、2005年12月6日に東京総合車両センターを出場しています。
実は、2005年10月11日に201系初の廃車回送として、201系試作車6両が大宮へ回送されました。先述の通り、201系と205系は同じMGを搭載しており、201系試作車の発生品と推測される動きとなりました。Mユニットを崩しての転用も、MG待ちなら納得できる動きでした。
まとめ
組合せが崩れたペアは、元ケヨM61編成のMM'392、393でした。改造後はMM'5064(ケヨM32編成)、MM'5069(ケヨM35編成)となっています。
モハ205-392、モハ204-393のペア(新MM'5069)は、205系大転属時点で、武蔵野線転属時にSIVではなくMGを増設した唯一の例となりました。(後年ケヨM36編成が加わることになるのですが。)
既にケヨM32、35編成は武蔵野線から撤退してしまい、両編成とも早期にインドネシアに旅立ちました。
コメント
すみません。「1987年度新製車(ヤテ41編成以降)」としていましたが、「1987年度新製車の途中(ヤテ49編成以降)」の誤りで訂正いたしました。