209系3100番台は車両計画が変更されたため登場しました。その余波で、同時に複数線区で車両転属先の変更が発生しており、規模の大きい計画変更となりました。近年、車両計画が公表されず、経緯を含めて掴める動きは限られていますが、当時は変更前後を比べることができました。2004年の動きを改めて振り返りたいと思います。
計画変更前の状況
りんかい線は大崎延伸時点で、直通対応の10連5本、線内専用の6連5本が在籍していました。
2002年、商業誌に掲載された205系の転用計画は、八高川越線が4連7本(現実は4連5本)、埼京線が6ドア車関係の動きを除くと10連1本(現実は10連2本)でした。205系は中間付随車7両(前後して鶴見線の1両が中止となり8両)が余剰となる計画でした。
りんかい線の10両化
2004年10月改正へ向けて、りんかい線の70-000形6連5本を10連3本にする組み換えが、東臨運輸区、東京総合車両センターで行われました。組み換えの詳細は下記の通りで、中間付随車6両を新製、先頭車ペア2組と中間電動車ユニット1組が余剰となりました。
分解は東臨運輸区で行われ、余剰車や新製車を挟んで東京総合車両センターへ3往復、東臨運輸区で新編成を組成したと、当時の目撃がありますが、写真などは把握できていません。
70-000形余剰車の転用と埼京線の運用増
70-000形余剰車は、新製した中間電動車ユニットと併せて4連2本を組成、八高川越線へ転用されました。これが209系3100番台となります。
また、予備車の関係か、りんかい線の10両化に合わせて、埼京線の205系を1本増やすことになります。
205系転用計画の変更
埼京線の運用増のため、中止された八高川越線向け205系3000番台2本の種車(T×4、MM'×2)と余剰予定車(T×8)、計16両から、10連1本を組成する必要があります。ここで問題が2点発生します。
先頭車化改造車の差し替え
上の16両には、先頭車が1両も含まれていないため、先頭車化改造を行う必要があります。しかしながら、205系の先頭車化改造車はワンハンドルマスコンで、従来車とは取扱いが大きく異なります。埼京線に1本だけ先頭車化改造車が混ざると乗務員や検修員が困るのです。205系の一連の転属では、鶴見線車両が回送で通過し、従来から生え抜きの205系が配属されていた南武線のみ、2パターンの先頭車が混在するように計画されていました。
結局、既に山手線から南武線へ、従来の先頭車で転属していた1編成(ナハ45編成)を、編成ごと武蔵野線へ再転属させ、代わりに八高川越線へ行く予定だった8両から先頭車化改造車込みの6連を組成、ナハ51編成として転入させました。代わりに武蔵野線へ転属予定だった1編成(トウ54編成)を埼京線へ転属(ハエ32編成)させることで、埼京線に従来の先頭車の編成を確保しました。
MM'ユニットの捻出
さらっと書きましたが、上の16両のうち、Mユニットは2つだけで、このままでは埼京線でMユニットを3つ使用することができません。本来、トウ54編成はMユニット1つを武蔵野線の別編成に捻出しなくてはいけない立場です。
205系の走行線区で、唯一Mユニットの数が異なる編成が混在している線区が武蔵野線でした。これは生え抜き編成が界磁添加励磁制御の6M2Tに対し、転入編成はT車を有効活用するため、VVVFインバータ制御の4M4Tになっているからです。
そこで、八高川越線へ行く予定だったT車2両を武蔵野線へ転属、生え抜き編成(ケヨM61編成)に組み込んで、生え抜き編成をVVVF化(ケヨM35編成)、Mユニット1つを捻出して、トウ54編成Mユニットの代わりにする(新ケヨM32編成に組み込む)ことになりました。生え抜き編成のVVVF化はこのような経緯で実現したのです。
(↑転属当時の編成表で、後年の組み換えにより引退時の編成表とは異なります。)
これらの動きで、余剰T車2両が生還(ナハ45編成に組み込まれ、ケヨM15編成へ)し、余剰T車は6両となりました。2両は廃車解体、4両は身代わりとなった別の車両が廃車解体となりました。
まとめ
209系3100番台が登場する陰で、多数の205系の転用先が変更となりました。今日も70-000形は活躍していますが、多くが姿を消した205系の動きも、ぜひ思い出して頂ければと思います。
参考
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