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街に馴染む三鷹跨線橋

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学生です。
部活との文武両道を頑張っていきたいと思っています。

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はじめまして。トタギガと申します。

以前に当サイトまたは4号車様で取り上げられたことがある内容かもしれませんが、撤去が決まっている三鷹跨線橋について今回はまとめていきたいと思います。

以後、撤去作業などが始まれば、またこちらにご報告させて頂きたいと思っています。

 

跨線橋の設置

三鷹電車庫発足と三鷹駅開業

跨線橋が架けられたのは1929年、今から92年前のことです。

三鷹に車両基地(当時は中野電車庫三鷹派出所として開業)を設置するにあたり、南北の分断・移動が難しくなることを考慮し、国鉄が跨線橋を設置しました。
その頃はまだ三鷹駅は存在せず、信号所でした。

 

当時は鋼材が貴重な時代でしたから、古レールも利用して作られました。当時は、日本で初めて直径1メートルの電気大時計も設置されていたとも言います。

太宰治の愛した跨線橋

三鷹跨線橋といえば太宰治と言っても過言ではないほど、跨線橋と共に太宰治が出てきます。

 

太宰治は1939年から1948年に自殺するまで、疎開時期を除き、現在の三鷹市下連雀あたりに住んでいました。跨線橋は自宅からも近く、太宰治は「いい所がある」と言っては弟子や友達を連れてきたと言います。

相当なお気に入りの場所であったとも言われています。

 

参考(著作権を鑑み、画像は控えます。)

跨線橋の現在

撮影スポット

夕陽が綺麗なことやダイヤモンド富士が見れること、三鷹車両センターがあることなどから撮り鉄だけでなく一般の方の撮影スポットとしても有名です。

毎日のようにさまざまな鉄道ファンの方々が撮影されています。

散歩コース

幼稚園・保育園等の散歩の時間になると、園団体で跨線橋に来ていらっしゃいます。子供たちが鉄道車両を見るのを楽しんだりしていますし、多くの運転士さんが手を振っていると警笛を鳴らしてくれたり、車掌さんが手を振ってくれたりしてくださっています。

もちろん、子供だけではなく、ご高齢の方が運動で通行されているという姿もよく見かけます。

老朽化と保存

現在は、一部分が塗色の塗り直し及び修復を行ってはいますが、階段の石が崩れていたり、フェンスに錆が目立っていたりと素人が見てもかなりの老朽化が感じられます。

耐震

また、製造時の耐震基準で作られているため、現在の耐震基準とは噛み合わず、撤去または修復を行う必要がありました。

コロナ禍もあり、維持が大変ということからJR東日本が三鷹市へ無償で提供するということになりましたが、三鷹市は修復コストを考え、撤去することを決めました。

(三鷹市公式ホームページより・サイトはこちら

一部では保存を求める声もありますが、どうも保存の可能性は低く感じます…。

まとめ

撤去されることになった三鷹跨線橋ですが、沢山の様々な人々に愛されてきたのではと思います。

保存されないのはとても悲しい思いですが、時代の流れに乗らず、設置時の状態をとどめている橋は大切にしていきたいですね。

 

 

初めての投稿ですし、色々とおかしい部分もあると思います。

どうぞ、コメントいただければと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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