今回は頭の力を普段から70%抜いた、私見や体験談や思い出話を丸出しにしている記事です。
そこと写真の腕の点について、ご容赦ください。
私ホームタウンとちぎ、不肖ながらこちらの親サイトの4号車の5号車よりのコンテンツの内編成表に付加させているコンテンツの編成ノートとその調整するグループを任せて頂いております。
日々小変化としてあれこれ記録に残すよう動いておりますが、情報を集めるのにご協力頂き皆様に感謝致しております。
毎日ありがとうございます。
さて。
編成ノートでヘッドマークや車体装飾や室内アコモの改造を集めて記録ししたり、それを編成表に反映させる為にこちらからも力を尽くしております。
しかしそれでも時期切れとして間に合わなかったモノもありますし、編成表を作られておらず載せられないモノもまたあります。
特に昔なされていても現在なされていない車体装飾やヘッドマーク類の場合、追ったところで収集が付かなくなってしまうので編成ノートに載せることができないのです。
ある程度弾かざるを得ないのですが、ラッピングやヘッドマークの場合一期一会でもある訳でして…
記録として残しておきたくあるので、今回此方をお借りしてコレクションする事と致します。
未来へ向けて残していけたらな…
小山車両センター編
1枚目から5枚目は全て小山車両センターの公開の際にスマートフォンから撮影したものです。
まず1枚目に上野東京ラインの開業記念ヘッドマークの写真を上げます。
2015年3月14日の開業への告知と記念の役目を終えた後、暫く鉄道博物館で行われていた企画展に出品された後にココで保管されていた模様です。
実運用時に別の編成に取り付けていたかな?と記憶しておりますが、この時E231系のU505編成に取り付けられていました。
私事ですが、4種類用意された内のこのデザインを気に入っております。
大宮支社でやるヘッドマークスタンプラリー、次の回でいいからコレ用意してくれたら嬉しいなぁ…
続いて2枚目です。
上野東京ライン開業記念のヘッドマークの内、残り3種類を展示させてありました。
それぞれ乗務員の方によってデザインされたモノだと記憶をしております。
開業から6年、ヘッドマーク展示から5年位が経ちました。
多分ですが、4種類とも現在も小山車両センターで残されているのかな?と考えます。
また見る機会があったらいいなぁ…
あと、上野東京ラインも沿線から実利用を兼ねて観察してすっかり定着したなと考えております。
実際自分でも元々上野を越していた利用をしてたのが、乗り換え無しで移動できる様になって楽になりました。
3枚目に懐かしめのモノの写真を上げます。
日光線で107系を運転開始させた際のモノと、小山車両センターそして宇都宮線の小山以南から115系を撤退させた時の記念ヘッドマークも展示させてありました。
展示された当時でも115系のさよならヘッドマークに懐かしさをこちらから覚えましたが――
公開のその数年後の高崎支社管内115系引退により両毛線との直通列車で来ていた小山~宇都宮からも撤退し宇都宮線から完全撤退したことや、その両毛線との直通列車ももう廃止されてしまったことを併せて考えるに今から更に振り返るに時の流れを改めて感じずにはいられません。
流石に107系の運転開始時に私は産まれておりませんでしたが、今改めて考えるに日光線での運転終了から早8年経つんですね…
4枚目にEV-E301系のローレル賞受賞記念ヘッドマークの写真を上げます。
入出庫の際に宇都宮~小金井を回送列車として走らせておりますので、さり気なく行き先表示に小金井と出している点がレアであるポイントに数えられますが…
5枚目に205系・115系・185系を展示しているシーンの写真を上げます。
205系の出している日光線直通日光幕も1日の実運用中に使う回数がたった1回限り(小金井を6:02に出る2823Mの小金井~宇都宮付近のみ)とレアなのですが、ホリデー快速日光と更に変遷の激しいと考えられる列車用のヘッドマークを取り付けられてもいました。
沿線に長年住んだ私でも、運転されていた当時に一切見た記憶のないヘッドマークでした。
新幹線リレー号とかこまちリレー号とかの記憶があるんですが…
話をヘッドマークに戻して。
ベイドリームMAIHAMA号とのヘッドマークが115系に取り付けられていますが、こちらを見た記憶があります。
最初115系で運転されていましたが、この列車や快速やすらぎの栃木路号に使うために189系を改造して彩野と名付けてその編成で運転される様になりました。
その後東武線との直通運転を始めるに当たり彩野を予備車両として使うためか、列車の方の設定が消えてしまいましたが…
もう相直特急も15年経つんですね…
最後にこの写真で185系を見てみると(列車の方の)ホームタウンとちぎマークを出しています。
用事で夕方に踏切待ちしていた際、爆音を轟かせながら通過して行くシーンを見て時間を知ったのも私の思い出です。
正直651系に置き換わる形で残るかな?とも踏んでいたものですから、廃止を聞き付けて寂しくなったのを今でも覚えております。
蛇足ながらこのヘッドマークを私から好んでいたことや馴染みの列車だったことがあって、此方や4号車の5号車よりでホームタウンとちぎを名乗っていたりします。
ちみちみ集めた懐かしのヘッドマーク編
今は全車引退したニューシャトル1000系(1010系とも)のさよならヘッドマークを無理矢理写し込んだ写真を上げます。
定期運用を離脱した後に行われた、丸山の車両基地の公開の際に撮影致しました。
この後洗浄線の試乗体験で使われて、それを最後の自力走行として廃車され搬出されたと記憶しております。
続いて千葉駅の新駅舎の開業を記念したヘッドマークの写真を上げます。
当時使っていたスマートフォンから撮影していた為、画質が粗い点のみご容赦下さい。
5年の工事を掛けて、かつての駅舎を建て替えた新たな駅舎を開業させた2016年頃の写真です。
房総発見電(注1)の全メンバーが描かれていてこの編成にラッピングをされた点も込みで、千葉支社にとって大きな出来事だったんだなって改めて気付きました。
あれからもう5年も経つのですね…
その後に上野東京ラインの常磐線直通列車を大増発させたダイヤ改正告知のヘッドマークの写真を上げます。
開業から2年後の鉄道の日(偶然ですが)に、この改正がありました。
それまで品川駅構内で切換え工事があったり電留線の整備をしていたことにより、予定通りの留置線の数の確保が出来ずそこに車両を入れられない為か上野東京ライン開通後も常磐線直通列車を宇都宮線・高崎線対東海道線の直通列車と比較して少な目に設定していたのです。
然し留置線の整備も終わったので、ここで大増発となりました。
この時に出発式も執り行われるなど、この改正への水戸支社の気合いが伺い知れたことを覚えております。
縁あってある駅を長年使っておりまして、それ以前の時刻表を見た際朝方にしか品川行きの設定が無かったものですから私個人から少し寂しいなと受け取っておりました。
然し、この改正で時刻表に"品"の記号が増えたのが嬉しかったな…
今は懐かしきマリンエクスプレス踊り子に使用された際のラッピングを施されたE259系を上げます。
251系のスーパービュー踊り子からE261系のサフィール踊り子に置き換えられる際に、こちらもサフィール踊り子に置き換えられて列車自体が廃止されてしまいました。
マリンエクスプレス踊り子の運用に入る際に、列車ロゴを貫通路と車体側面にラッピングさせていました。
列車に乗務する乗務員の方の制服も限定のモノを使っていたり枕カバーも専用のモノが用意されていたりと、こちらもかなり気合いを伺い知れる列車でした。
撮り乗りしとけばと言っても後悔先に立たず、日々しっかり記録をしておきたいと改めて考えております。
最後に東北・上越新幹線の東京駅開業ヘッドマークと、東北新幹線20周年記念ヘッドマークの写真を上げます。
流石に私は産まれてませんでしたので、リアルタイムで見てはおりません。
利府の新幹線総合車両センターのPRコーナーの片隅にこの2点が保管されておりましたので、仙台に行った序でに訪問して写真に収めました。
利府の駅からPRコーナーへ続く入口まで徒歩10分程ですので、お時間がある方は行かれてみては如何でしょうか?
あとがきと告知
スマートフォンに使っているSDカードのフォルダの中の写真に「編成ノートに載せるにはタイミングを逸しちゃったけど、過去として記録しておきたいな。」と考えたモノがあったので、ちみちみコメントとして文章を付けながら上げて行きました。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
読者の方の内、4号車の5号車よりのメンバーで情報をお持ちの方は編成ノート調整グループにお寄せ頂けると幸いです。
時期を逸したモノは此方に記録として置いておいて、未来のレイルファンに残して頂けると幸いです。
双方沿線在住のレイルファンの皆様が頼りです。
どうか宜しくお願い致します。
注1:房総発見電/江戸時代後期に書かれた小説『南総里見八犬伝』を元ネタとして、JR東日本千葉支社管内の路線の沿線案内をする犬のキャラクターグループ。
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