205系の先頭車化改造の第1号は鶴見線向けクハ205-1101ですが、少し変わった順序で改造が行われましたので、振り返りたいと思います。
一連の大転属の前に行われた先頭車化改造
205系の先頭車化改造、一番最初に行われたのは元埼京線ハエ8編成のサハ205-161でした。鶴見線向けクハ205-1101として、真っ先に改造されています。
同車の捻出ですが、大転属とは無関係に可能でした。というのも、山手線には元々余剰車1両が配置されていたからです。
元ヤテ42編成11連が、1996年に埼京線へ10連で転属して以来、サハ204形が1両保留車として在籍しており、2001年時点でサハ204-902が余剰車になっていました。2001年8月、この車両をハエ8編成に組み込み、6ドア車1両組み込みで営業投入しました。結果、捻出されたのがサハ205-161でした。
しばらく営業に就かなかったクハ205-1101
205系の大転属は、ほとんど無駄な疎開を出さずに進められました。例えば、仙石線の205系3100番台は、先頭車が山手線から転入している場合でも、元編成が中間車と異なっている例がありますが、これは工期の長い先頭車化改造車を待たずに、離脱の早かった先頭車化改造車と組んで出場して行ったためです。
そんな中、クハ205-1101は、改造二番手となる205系1000番台(浜1、浜2編成)に挟まれた5連で鎌倉総合車両所を出場した後、2002年3月から2004年8月まで1両で保留車生活を送っていました。クモハ204-1101、モハ205-26を迎えに行き、3連を組成して中原電車区に戻った姿が下の写真です。
投資効果を考えると、改造はなるべく営業投入の直前に行った方が望ましいですが、クハ205-1101は異例の早期改造になりました。
テストケースとも…
当初より付随車が余剰になる計画だったこと、種車のステンレス鋼体を生かした前例の無い改造だったことから、失敗も織り込んでいたのでは、と言われたりしますが、動く金額を考えると失敗は大変で、考えにくいと思います。
クハ205-1101を需要から逆算して遅めに改造すると、最初の改造車は南武支線向け1000番台(いずれも電動車を先頭車化改造)となり、少数派な改造となってしまうのは事実でした。基本的な改造方法を確認するため、まず工期に余裕があり、基本的な改造となる1両をじっくり改造して、その後の改造に生かしたのではと思います。
「光センサー占い」とも呼ばれる初期の転属先を制約する要因もありましたが、別の記事でご紹介します。
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