2007年8月から2010年1月にかけて行われたE233系1000番台の投入により置き換えられた京浜東北線向け209系0番台。
転用対象となった0番台72編成のうち3編成が南武線用として転用されることとなり、編成短縮や機器更新などを行ったうえで中原電車区(現:鎌倉車両センター中原支所)へ転属しました。
転用に合わせて2200番台への改番を実施していますが、後年のE231系や209系500番台の転用時においては八高・川越線用として転用した編成を除き改番を行っていません。
当時の中原電車区には209系0番台が在籍していたものの、ナハ1編成が廃車、ナハ32編成は機器更新を行う見通し(当時)であったため、改番を行う理由に乏しい印象もあります。
南武線へ転属した209系3編成に対して改番を行った理由は何だったのでしょうか?
※ナハ32編成は2011年3月ダイヤ改正に伴う快速運転実施を受けて行先表示器が幕式から2200番台に準じた3色LEDに換装されたものの、機器更新を実施しないまま2015年に廃車となっています。

南武線への転用
京浜東北線から南武線に転属した209系と、南武線の動きをまとめています。

209系ナハ32編成
南武線で運用されていた209系ナハ32編成の動向(最新版)【ナハ32編成の動向】中原電車区の209系は、現在の配置はありません。ここでは、南武線で運用されていたナハ32編成の動き
コメント
答え出てませんか?
「機器更新」これだけの非常に単純明快な理由かと思われますが。
同一機器構成の2000番台及び2100番台の続番となっていて何らの不自然さも無いのでは?
0番台の営業用改造車は+2000されたこれら番台だけなのですから。
機器更新車と未更新車の区別のためで、そのナハ32編成も機器更新が当初予定通り実施された場合は2200番台に改番する予定だったからかもしれません。
番台区分が変わるということは、不可逆的な変化があったということでしょう。
編成短縮にともない目に見えない部分での小改造は行われているのではないでしょうか。
新造6連と全く同じではない、ということです。
2010年前後は、短編成化、機器更新といった、規模の大きな改造を施した車両には2000番台の車番を付与するという方針だったのでしょう。その後の500番台では八高線転属車(こちらは半自動ボタン設置などもあった)を除いて改番されませんでしたが… 方針に変更があったのかもしれません。
転入車を生え抜きのナハ32編成とは別グループに整理し、同時に車両番号の空きを埋める措置として改番の選択肢があったと考えるのが自然でしょうか。
転用・機器更新メニューの規模次第では原番のままでも特段の不都合がなかった可能性も考えられ、書類上の改番手続きと今後の扱いやすさを天秤にかけた結果、と解釈できそうです。
近年の例として、E231系0番台では三鷹区・京葉区(・松戸区)のいずれも、番号の空白や編成番号との齟齬がある転用・機器更新が組まれていますが、3000番台となった川越車を除いて原番のまま運用が続いています。
京浜東北線から南武線に転入した209系は、少なくとも機器更新という変更点が加えられていました。これが番台区分の一番の理由に思われます。
武蔵野線に転入した209系やE231系が番台区分をしなかったのは、ラインカラーの変更など小規模な改造で済まされたことが理由だと思います。
そもそもこのような例は205系だの103系だの、昔からよくあることでした。
転属時に色を変えただけでいちいち番台区分はしませんでした。
一方で205系の中間車を先頭化した車両は1000番台(など)に、VVVF化改造した車両は5000番台に区分されましたよね。
要するに大規模な改造を行ったかどうかが番台区分の基準と言えるのではないでしょうか。
ただし一つ気になるのが、同じ機器更新でもE217系やE231系では基本的に番号が変更されませんでした。
こうなると番台区分をする・しないの線引きがよく分からないですね。
途中で基準が変更されたのでしょうか。
何だったのでしょう。当時は「機器更新したから」で納得してました。
クハの2000・2100番台に関してはセミクロスシート化での脚台設置に際して床の補強を行った旨の記述が雑誌のどこかにあった気がしますが、何でも原典を拾って追記していくWikipediaに記述がないので記憶違いかもしれません。
とにかく2200番台に関して特別な説明が一切無かった気がしますので、単に機器更新だけが理由である理解のままです。