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E217系の東海道線転用は「恒久使用想定」だったのか、「出戻り前提」だったのか?

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2006年3月のダイヤ改正において、以前から余剰が発生していたE217系が113系の置き換え目的として基本編成からはクラ(フナ)F-01~F-03編成、付属編成からはF-51〜F-53編成の計45両が横須賀・総武快速線から東海道線向けに転用されました。しかし、2008年にはコツF-02編成+F-52編成を皮切りに横須賀・総武快速線への出戻りが順次発生。最終的に国府津車両センターの
E217系45両は上野東京ライン開業を前に東海道線から撤退し、古巣の鎌倉車両センターへ出戻る形で転属しました。

2006年時点で、E217系の東海道線転用は「恒久的な使用を想定したもの」だったのか、「初めから横須賀・総武快速線への出戻りが前提」だったのか、それともまた別の道を想定してのものだったのでしょうか?

コメント

  1. 「2006年時点で」という条件を加えられるのであれば、「恒久使用想定」は余りにも考えにくいです。
    もともと耐寒耐雪改造も施工するような計画だったようですが、実車はそれが実現しておらず、どんなに遅くとも東北縦貫線(上野東京ライン)開業前には撤退する想定だったでしょう。

  2. 211系置き換え用の新車投入までの繋ぎだったと思います。
    因みに2012年頃に湘南新宿ラインの増発に伴いF-02・k-52が再び東海道線へ転出していますがもしかするとこれが(房総直通運用の代替によるケヨ車の運用削減ができなくなったという意味で)ケヨ34残留を決定づけた要因となったのかもしれません。

    • 2012年頃は湘南新宿ラインの浦和駅停車が2013年3月に控えていたことから、運用の所要が1本増えた国府津と機器更新が終了して1本余剰となった鎌倉の利害が一致しただけではと思います。

  3. 後に登場するE233系とは異なり読替装置等を持たないためE231系との混用ができず、15両のまま運用を限定して使わざるを得なかったため、あくまで「老朽化が深刻な113系の取り替えを急ぐために余剰車を活用した」ぐらいのものだったのだと思います。
    そもそも転用の経緯は、湘南新宿ラインを増発するために線路容量の関係から総武線からの直通を削減したために余剰となったためなので、当時から構想はあったとされる「東北縦貫線」(のちに上野東京ラインとして実現)の開通後は湘南新宿ラインを削って再び総武線からの直通に戻すべく鎌倉に戻すことも考えていたと思います。

  4. 実際に「出戻り」したわけですから、あくまでも余剰車両の有効活用策の一環だったのでしょう。ちょうど113系の置き換えの真っ最中でしたからね。

  5. 東海道線E217系は基本的に東海道線内の完結運用に限定していた(当時湘南新宿ライン及び高崎線や宇都宮線直通には入らなかった)記憶があることとE231系やE233系との併結も非対応でしたから、あくまでも一時的な使用が前提だったのだと思います。

    東海道線全体で見てもE217系は明らかに少数派でしたから、転属と言えどもある意味で貸し出しのような様相にすら思えますね。

    その後に上野東京ラインも開通してコツ・ヤマ車が入り乱れて運用される現状まで見込んでいたならば、最初からE217系を東海道線で継続使用する計画ではなかったのかなと思っています。

  6. 東海道線へ転属したE217系は東京~来宮間限定(熱海~来宮は回送のみ)かつE231系との連結不可で限定運用にする必要がありましたので、最大でも上野東京ライン開業までの想定だったはずです。
    横須賀線E217系の機器更新予備確保と武蔵小杉駅開業による増発で、E217系を東海道線から横須賀線に戻した時にその代替としてわざわざE233系3000番台を製造しました。(結果本格的な増備となる第3編成以降とは基本編成の構成が異なる結果に)

  7. 解釈を問う意図なら、恒久的な使用を想定、と考えるなら少なくとも耐寒耐雪改造を実施したのではないでしょうか?
    内部のことは当然知りませんが、E217系が東海道線に転用されたのは、京浜東北線の500番台を除く209系0番台が当時の清野社長から『廃車にする』とニュースが出る半年前のことで、
    『13年で廃車としても経営に大きく影響しない』がその後の形式で実際どう展開されていくか、まだ未知だった頃です。
    その後E217系がどうなったかはWikipediaに書いてある通りで、その出戻りの代替に先行投入されたのがE233系3000番台の10+5連 2組です。(E233系唯一のスノープロウ付きグループ)

    遡ればE217系投入で捻出された113系1000番台だって前面の塗分けを115系同様に変更(一部のみ) のうえ15連で宇都宮線で一時的に使用されました。
    JR西日本では混結すら見られた両形式ですが、113系だけで運用が独立していたと聞きます。
    E217系に関してもその後廃車されようが継続使用されようが、一時的なもの、という認識でしたよ。

    どのみちE231系とは営業運転で併結出来ないです。(証明されていない、救援はある)
    分割併合はその後も残っていますし、混ぜる気(“恒久的に”)は無かったと見る方が妥当です。
    E231系とE233系でも最初からすんなりと併結出来たわけではなく、試運転で不具合が出て手直しした話題が当時出ましたね。

    言うまでもなく、グリーン車の有無・耐寒耐雪装備・ATSの違い等で、113系、115系、211系、E217系は東海道線・横須賀線と宇都宮線・高崎線の直通運用を考慮した編成仕様になっていませんでした。(敢えて言えば215系も)
    それを可能にしたのがE231系近郊タイプとE233系3000番台です。

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