6月23日、網干総合車両所宮原支所の14系『サロンカーなにわ』(ミハSA編成)のうち、中間車のオロ14形5両が吹田総合車両所本所へ回送されました。状況から廃車回送と思われます。
14系などの客車を改造したジョイフルトレインは数多く存在したものの、同編成の他に残存するのはJR東日本の12系「SLばんえつ物語」用客車程度で、その殆どが既に引退している状況です。
『サロンカーなにわ』は国鉄時代の1983年に改造されて誕生した編成で、客車改造のジョイフルトレインの中では極めて長命だったと言えますが、ここまで長期間運用されたのは何が理由だと考えられるでしょうか。

サロンカーなにわ中間車5両が吹田へ回送
本日、「サロンカーなにわ」の14系700番台中間車5両が、EF65 1124の牽引で、網干総合車両所宮原支所から吹田総合車両所本所へ回送されました。1983年に登場しお召し運用にも充当されていました。2025.6.23回9970レ サロンカ
コメント
機会は少なかったですが、お召し対応が一番の理由かと思います。
JR東日本では機会が極めて少なくても新製までしているので、頻度ではなく制度としてのお召し列車対応を残していたのではと思います。
今回、機関車の余命も見えてきて、社内で一定の整理をして潰したのでは無いでしょうか。
直流電化区間は281系、非電化区間はサロンカーなにわが担っていたようですね。
これが理由だとすると今後非電化お召しはどうするのかが気になるところですね。
一言でいえば「JR西日本だったから」ではないでしょうか。
今でも国鉄時代の形式がバリバリ現役で走っているので、普通鋼製車両のメンテナンスのノウハウも消えることなく残っていますから、ギリギリまで使い続けることができたのでしょう。
その理屈ではJR西日本管内でも複数の客車JTが存在していた中で、なにわだけが長く残った理由としては全く成り立っていないですね。
他の客車JTが10年ほど早く引退した中でなにわのみが残されたことからも、なにわにしか担えない用途がありそれを果たすためにここまで残されてきたのは明白ですから、ここではその用途とは何か?という点について論ずるべきです。
お召し列車への充当に加え、結果的に最後の客車JTとして残ったという価値、更には亡き高砂工場最後の「作品」であり、また、なにわの改造過程・手法からも高砂工場の存亡を賭けたものであったことは確かで、そういった意味でも歴史的価値は大きかったと思います。
前述の通り、なにわは構体や台枠にまで及ぶ、他の客車JTと比べても非常に大規模な改造でしたが、ここまで残ったのはなんとなくJR西日本の信念を感じさせられます。