国鉄時代に首都圏と関西圏の通勤路線に投入された201系。民営化後はJR東日本とJR西日本に形 継承されましたが、国鉄・JR時代共に東西間の転属は発生しませんでした。
しかし、鉄道模型等を製造するトミーテックの公式YouTubeチャンネルにて、同社の鉄道模型ブランド「TOMIX」の担当者でかつてJR東日本管内の中央線で運転士をしていたという島貫英紀さんが「中央線の201系が廃車になる際、JR西日本への譲渡が検討された」「車体が老朽化していたため主要部品の譲渡があった」という旨のエピソードを語っています。
実際には機器類のみ譲渡となった模様ですが、もし車両譲渡が実現していたらどのように活用されていたのでしょうか。
トミーテックLIVE 2022年/10月
ジオコレ、トミックスの各新情報をお届けします。■2022年10月13日(木)12:00配信スタート
コメント
201系は消滅するでしょうか。
形あるものいつかは必ず消滅します
電機子チョッパなどもう補修部品が無いと聞きました。
当時はまだJR西日本に103系が多数在籍しており、それの置き換えに活用できたかもしれませんね。
2007年頃の201系廃車ピークの時は,サハとクハ不足で編成を組むとしたら必要性があったと思われます。
T編成は,2編成のみ京葉線に転用されて京浜東北線の209系500番台が京葉線転用で10両固定編成が,2008年に廃車になってサハ車が廃形式になりました。大阪環状線と大和路線に転用されていたら103系と同様のN40体質更新車と戸袋無と未更新の戸袋有車が混在していたと思われます。
劣化している技術ゆえ、余程の赤字が出なければ譲渡の余地はあったかもしれません。
当時は321系の導入により201系の京阪神緩行線→環状線/大和路線への転属が進んでいましたがそれだけでは103系を半数程度しか置き換えられなかったため大所帯の中央線から譲渡があると京阪神からの103系撤退が早まったかもしれませんね
阪和線には史実では一度も201系の配置がなかったと記憶していますがそちらにも入ったのでしょうか。クハ103のトップナンバーを含む編成が2010年代まで現役であったことを考えるとJR西としても真剣に考えられていたとしても違和感のない話です。
森ノ宮区(当時)に集中投入し、状態の良い103系体質改善車を奈良や日根野などに転配したかもしれませんね。
大阪環状線は当初の計画では103系を全車201系で置き換える予定だったが
4+4の編成や6M2Tの編成があるなど取り扱いで問題になり、結局同じ編成数を大和路線と分け合う形での転属になった。
201系、懐かしいですね。発進時のインバータ音とは違った独特のチョッパ音。仮に全車でなくてもらでも西に車両丸ごと譲渡されていたならば、まだ現役で走っていたでしょうね。西は車両をリニューアルして大事(延命)にする企業体質ですから。
廃車解体だけはやめて欲しい
京都鉄博で保存を切に願う
201系の譲渡がもし実現していたら、103系の関西撤退はかなり早まっていたかも。それと首都圏の113系の状態の良い後期型車両(特に113系2000番台中心)が関西圏(網干区の京阪神緩行線用)に譲渡された場合、113系の初期型の冷房改造車はかなり置き換えられ、京阪神緩行線は113系冷房改造車→→113系2000番台中心の体制に替わっていたかも。それは間違いない❗
そこまでの劇的な効果は期待できませんし、首都圏の113系の方が過酷な使用により劣化の進行が進んでいましたので、譲渡の可能性はゼロでしょう。しかしながら、201系が譲渡された場合、103系が長期の年月にわたり製造された続けたのに対し、201系は比較的短期集中的に製造されましたので、上手く103系の玉突き転用を進めれば、線区ごとの経年をある程度揃えることできたことから、以後は単純に223系や225系を製造するだけで済んだ可能性はあります。
JR西側の「中の人の話」の伝聞ですが、2M2T×2で関西線を試運転したとき、回生ブレーキに不具合があり、201系は当時普通にあった4+4での運用に支障があるので止めた、と聞いたことがあります。東では普通に4連の運用があったんですけどね。西の4連は速度が速いのでダメだったんじゃないかな・・・ということらしいです。
回生ブレーキ自体の不具合というか、回生失効が頻発したのかもしれませんね。