2021年、大宮車両所のED62 17が解体されました。佐久間レールパークのED62 14、長野総合車両センターのED62 1に続きED62形が解体され、ED62形の廃車体が消滅と断定する見方もありました。
しかしながら、貨物会社は多数の遊休基地を保有しており、ED62形は今も保存されているとの見方があります。保存説が根強い基地を紹介致します。
旧・篠ノ井貨車区
旧篠ノ井貨車区は篠ノ井機関区に統合され、現在は塩尻機関区篠ノ井派出になっていますが、機関車の仕業検査しか行っておらず、構内の旧篠ノ井貨車区の建屋は使用されていません。
ED62形が保存されているとの見方がありますが、1999年に解体作業があったとの目撃もあります。近年、庫内が確認されたことはありません。

『塩尻機関区篠ノ井派出所』
篠ノ井駅に到着しました。篠ノ井には機関区があり、昨年6月の菅平高原へのサビ掘りでもEH200 11や16、EF64 1002がとまっていましたが今回は‥‥国鉄…
旧・小山客貨車区
小山駅前の旧 小山客貨車区は小山機関区統合を経て、貨車検修が廃止され、現在は線路が剥がされていますが、なぜか建屋が残っています。
機関車が保存されていたとの目撃が過去にありますが、庫内が確認されたことはありません。

『#593 小山貨物駅の国鉄遺産2021②』
前回の続きです。 『#592 小山貨物駅の国鉄遺産2021①』昭和も国鉄も好きですがタバコは吸いません。関東土木保安協会です。以前、イトーヨーカドー小山店が閉…
旧・鷲別機関区
鷲別機関区は約10年前に廃止となりましたが、余剰となったED79形やDD51形が廃止後に集められ、解体作業が行われていました。現在も設備がそのまま残されていますが、建屋の中が目撃されたことはありません。

鷲別機関区跡へ行く
みんカラ(みんなのカーライフ)とは、あなたと同じ車・自動車に乗っている仲間が集まる、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)です。
これらの建屋に保存車はあるのでしょうか。
コメント
篠ノ井ならまだ可能性はありそうな気もしますが、小山にED62を保存する理由が考えにくいです。
比較的近所の黒磯に貨物の研修センターがあるようで、ここに研修機材として活用されているなら分かりますが。
鷲別に至っては北海道ですから、保存されていると主張する人の根拠を逆に知りたいですね。
掲題との関連で行けば解体の為に北海道まで運んだなどでしょうか。
103系のように何らかの現車試験などでもない限り、わざわざ北海道まで運ぶ理由が思い付かないですね。
解体なら本州で十分のはずですし。
いや、本文中でED62が居るかもしれないと指摘しているのは篠ノ井のみで、小山と鷲別は保存車がいるかもしれない例として挙げているに過ぎないです。
小山や鷲別にED62かいるとの主張として読むのは論理が飛躍していると思います。特に後者はED79が例示されていますし。
残念ながら本邦においては産業を守り育てた電気機関車やディーゼル機関車の保存をやろうという気概がどこにも無いのですよね。
D51ごときがこれほど持て囃されるのならばそれより優れたDD51はより良く保存されるべきなのですが、世間はどうもSL以外には興味が無いようで。
新幹線総合車両センター交流スペースおよび、利府町の公園の電気機関車群も同様です。
ED91型機関車群は交流電化、そして新幹線の技術的基盤を作り上げたという意味で価値があり、新幹線総合車両センター交流スペースおよび立地する利府町で解説をつけて残しておく価値のある機関車であると思っています。
これらの電気機関車が廃棄されたのは新幹線総合車両センター交流スペースおよび新幹線の街利府町の意義を考えてももったいないと思います。
今回のテーマに限らずですが、実物の鉄道車両を保存するのは並大抵のことではないと思います。
保存場所の確保、保存場所までの移動(搬入)、保存後の維持管理と我々個人どころか事業者が行うにしても簡単な話ではないと思います。
他にもアスベスト問題により解体せざるを得なかった例もありました。
このような話題が出た際に勿体ないと言いたい気持ちも理解出来ますが、
現実的に考えると残念であっても撤去・解体せざるを得なかった例は数多くあるでしょう。
JR貨物でも大宮車両所の保管車解体でED62惜別の意を表しています。
有るのか無いのかというより、もう何年も現物が保管されてきて動きなしだったわけですし、
保存はその存在にそれなりの価値を見出せるところから始まりますが、
一連の国鉄新性能電機の嚆矢としてのED60が青梅鉄道公園に保存と相成りました。
基本的に改造機は保存対象にしない との基準があったと聞いた覚えがありますが、
ED62は全機がED61からの改造機で、C61・C62やEF59のような例外もあり、この辺りは裁量に任されていたのだろうと思います。
その車両に馴染みのある世代で何とか出来なかった以上は下の世代には思い入れすら生まれず、
際立った歴史的・技術的価値があると認められれば動きが出てきますが、難しいのでしょうね。
建屋からお宝が出てきたらどうする? が問題なわけですが、結局は価値を感じている人が主体となって決めることです。
その係わった人たちの(職業面での)終活よろしく処分されてしまったのが目の前に見える現実だと受け止めております。
(事実とは言えませんがそのように見える)
車両ではないですが御料車庫ですら解体されましたし。
大宮車両所でのかつての保管車両の記述から議題が始まっているので、
ついでのことなので有難くあえてこの鉄道ピックアップ・鉄道ニュースで扱っていない(はずの)話題に切り替えます。
大宮総合車両センター裏で保管されていたオハ35 2001が名古屋市科学館の静態展示車両として選出、
今年の3月に搬出されましたが、熱田工場(検索してすぐ発見した名古屋市発出のpdfでは社名が記されていないが日本車両製造)で
製造されたオハ35の完成第一号機で、国鉄を代表する客車の形式である と名目を立てたようです。
市長が「SLに客車を牽引させたい」との強い意向を持っているのがそもそもの理由であるようですが、
現状想定されている保存形態は上記の通りです。
オハ35 2001はいわばモデルチェンジ車であって(しかも他の展示車や動態保存車すら存在する)技術的にも保存の価値はない
とまで言われていたようですから、大宮総合車両センターならD51 187(自家製造したD51の1号機)、
鉄道博物館なら21-2(博物館所在地県内に存在した日本車両製造蕨製作所で最初に製造された0系新幹線)のような名目を
見出されて幸運な存在でした。
JR東日本でもクハ651-1001の車籍を残して保存対象とする意向が見えていますが(これは鉄道ニュースで扱いあり)、
保存が成就するか、どのような形になるか楽しみです。
鉄道博物館に183(189)系が4両もありますがたまたま鉄道博物館開設時期に廃車が出たからでしかなく、
189系はともかく183系は中央線・総武線系統の方が馴染みのある形式ですし、
それの一部と入れ替えで保存されたりしないでしょうかね?
ただこれは何でしょう? かつての205系(大宮と長野で分散して4連1本が組める車種が残されていたが、モハ204が解体されてしまった)や
455系もそうですが、最小単位の編成が組めるだけの車両が保管されている傾向があったのが興味深いです。
電車での動態保存の将来の可能性を残したのでしょうか? 不動産に係りきりの今のJR東日本のもとでは難しいでしょう。
蒸気機関車の整備運行もそうですが、電車の抵抗制御車の整備運行が技術的遺産として認められるべき時期にそろそろ来ているように思います。
205系も455系も動態保存を見越していたかどうかは微妙でしょうね。
まず205系の場合は訓練用教材としての活用が目的でしょうし、455系は博物館に保存する目的でも車種選定としてはあくまで偶然だと思います。
中央線201系について、運用離脱当初はクハ201+モハ201+モハ200+クハ200の各トップナンバーで組成して保管されていたことを思い出しました。
結局は実現しませんでしたが、もしかしたら動態保存を見越した動きだったかと思っております。
東武では8000系について動態保存(というか定期列車に使用されて)していますし、東急は8500系を動態保存するようです。
東急の方はあれから音沙汰が無いようですが、今後どうなるかに注目したいですね。
それを考えると全身の営団地下鉄時代に廃車になり、地球の裏側のブエノスアイレスまで輸出された500型を4両も呼び戻し、うち3両は動態?保存する東京メトロは相当異例ですね(趣味者から見ても、機械面からみてもありがたいと思います)
残すにはコスト(金も手間も)かかるので、引退した車両や設備などにどれだけ価値を感じられるか、残す余力があるか、というのが保存か解体化の分かれ目ですね。
(SLでも志免町が解体意向で玖珠町が機関庫(の前)で保存したいと譲り受けた)
逆に、鉄道会社的に失敗作扱いだと一刻も早くなかったことにしたいんでしょうね
(E351に至ってはE353に置き換え初日に新宿→長野まで廃車回送し、その日からの(当時あった年末の)3連休中に解体まで開始)